幼少の頃より洋楽を耳にする環境の中で育ち、 10歳からブレイクダンスを始める。 ダンスに夢中だった彼は遂に1990年DJに目覚め、 1992年よりプロのDJとして活動をスタート。 同時にDJバトルにインスパイアされ、そして参戦。 数々のタイトルを奪取、西日本チャンピオンを4度経験し、 1998年には日本第2位まで上り詰め、 翌年1999年DMC TEAM部門、初の日本代表選手となった。
それと同時に、K.O.D.P.のBooなども在籍したS.B.S.のDJとして、Word Swingaz / Future ShockのLive DJとしても活躍。 名曲Shingo2 / E22との”Pearl Harbor”、”1200Ways”などのトラックメイカーとしても知られる。
2003年にはCREWの名を一部に冠したレーベル、 “Turntable Troopers ENT.” (T.T.E.) を立ち上げ、第1弾音源ともなるソロアルバム『World Famous』をリリース。 第2弾となった**バトルブレイクス『KAMIKAZE BREAKS』は爆発的な売り上げを記録。 その後、第3弾『SAMURAI BREAKS』、第4弾『ICHIBAN BREAKS』,第5弾『BANZAI BREAKS』、第6弾『KAMIKAZE SKIPPROOFS』、7インチでも『KAMIKAZE SEVEN』『NINJA SEVEN』『SAMURAI SEVEN』と、次々にリリース。 どれも国産バトルブレイクス史上、記録的なセールスで今もなお記録更新中である。
最先端技術のVDJも積極的に取り入れ、2010年には日本初のVDJクルー『Absolute Sound』を発足。
2014年、長年温めていたDJコンテストの構想を実現、『KAMIKAZE DJ BATTLE』発足。毎年主催し、数々の若き才能を発掘している。
最近ではポータブルスクラッチブームの火付け役としても活躍。スクラッチ普及活動家として、DJ界の重要な一端を担っている。
2018年には、アラブ首長国連邦アブダビ国のルーヴル美術館で行われた、『Turntable Phonographic Orchestra (TSO)』にも日本代表として参加、世界中から称賛を浴びる。DJスクール、音楽専門学校など若手育成やプロデュース活動に重点を置き、DJ講師歴も既に25年、『DJエデュケーション(教育)』という新たな道筋を切り拓いた。『日本DJシーンの開拓者』と言っても過言では無いだろう。