86年、DJとしてのキャリアをスタート。特異なファッション、選曲、テクニックで圧倒的存在感を与えたのがイチローことDJ PRINCE。
数々のディスコ、クラブにてレギュラー、ゲスト等として活動した後、96年、自身の店VIVAを木屋町にオープン。京都のおもろい店として現在も年中無休で営業中!木屋町テキーラ消費量をクラブをも凌ぐ(?)相当なテンションを誇る店であり、常に12inchのアナログレコードがかかり続けるという凄い店なのである。当然、彼のD.J.もその店で体感出来ます。DJとしては、KURTIS FLYのバックDJから、B-BANDJとのT.I.P CREW、そしてEP-4内部のUNIT-4にてターンテーブリストとしての参加等にみられる様に、ダンスフロアーDJの枠に留まりきらず、その時その時の盟友とバンドミュージックするDJと言える。現在までの共演者を見てみると、YO-YO、BLACK BOX、2LIVE CREW、DJ KRUSH(KRUSH POSSE時代)等があげられ、彼の活動クオリティーがはっきりと判る。ちなみにこのアーティスト写真はロシアのクラブ情報誌の表紙になった写真とのことです。
1974年生まれ。13才からギターを弾き始める。17才の頃、ギターそのものに興味を持ち始め楽器の制作を始める。19才からフラットマンドリンを弾き始め、徐々にメイン楽器がマンドリンに変わって行く。26才頃まではロックやブルーグラスを土台としたアコースティク・インストバンドなどで活動をしていたが、自分一人で制御し完結出来るソロパフォーマンスに興味を持ちソロ活動を始める。打ち込みやコンピューターを使用せず、マンドリン一本をループエフェクターを中心としたエレクトリック機材に絡め即興演奏する現在のスタイルに辿り着く。現在も職業的に楽器制作を続け、楽器職人としての評価も高い。勿論、自身の使用楽器全て彼の自作であり、彼のソロパフォーマンスは音を出す媒体を創る時点から1人で始められる。
作曲家、レコーディング・エンジニア、プロデューサー、DJ。関西大学在学中から京都を中心に実験音楽系のフィールドで活動を始める。京都のマルチ・メディア・パフォーマンス・グループdumb typeの音楽を1985年から2000年まで担当。1989年よりクラブ・イベント“Diamonds Are Forever”主催、DJも務める。京都METRO他、大阪、東京などの多くのクラブで開催。1996年、Foil Records設立。現在も音楽のみにとらわれず、LAGOWSKI(S.E.T.I.) (musician/UK)、Annette Meyer(Fashion Designer/Denmark)、ong keng sen (Director/Singapore)、Softpad(Japan)、speedometor.(Japan)など様々な分野のアーティストと積極的にコラボレーションを行っている。2002年より高橋匡太(ライティング・アーティスト)との共同作業から始まったユニットは2004年よりflo+outとして本格的に活動を開始、映像、音楽、ダンスパフォーマンス、インスタレーションの作品を発表している。2006年ong keng senの新作"Geisha"を発表、音楽監督を務める。
4.5才の頃、クラシックバレエを少し習った後、クラシックピアノを開始。
10才の時、和音を即興で重ねていく楽曲を作り当時のピアノの先生に採譜をお願いしにいく。12才でクラシックピアノだけでは飽き足らなくなる、小学校のブラスバンド部に入りアルトホルンを演奏する。しかし、LINDBERGやX JAPANといったバンド音楽の存在を知り、徐々にヘヴィーメタル&エレキギターへの関心を持ち出す。14才の時、ベートーベンの運命第一楽章の演奏を最後に、メタルギターの開始を先生へ告げて、クラシックピアノの演奏をストップする。その後、20才を過ぎてから、BRIAN ENOやROBERT WYATTといった存在を知り、アンビエントピアノの即興演奏を開始。現在は、BURZUMやXASTHURといった厳寒シンフォニックアンビエント一人ブラックメタル「WAHNSINN」の楽曲製作に夢中。
マジカルなロケーション、バンドとDJを交えたブッキングの妙によって「至高の三重ローカルエクスペリメント」と称されるオープン・エア・パーティー、eleven.のオーガナイザー。DJとしても、HIKARU、DJ KENSEIとの<ゆるいツアー>、DJ NOBU、CMTとのなど、ソフト& ハードかつストイックなプレイで全国をワンダリング中のHold Me Now男。