1972年名古屋市生まれ、東京都在住。
カメルーン人の父とフランス人の母の間に生まれ、アフリカ、日本、ヨーロッパで育ったB-BANDJは、国境やジャンルを超えて軽やかに旅する現代の語り部である。1990年代モンド・グロッソのフロント・ラッパーとして活躍し、2001年よりヒップホップグループ瘋癲FU-TENのメンバーとして活動する。『Breaking Barriers』(1996年)、『Stand In The Light』(1998年)に続く3枚目のソロアルバム『Where do we go from here ?』(2009年)ではカメルーン語で「神」を意味する曲《LOBA》を自らプロデュースし、現代の絶望と希望をテーマとした。
90年初期からDJ、ターンテーブリストとして活躍し、96年Japan DMC Battleのウエストコーストチャンピオンに輝く。Technicsのターンテーブル、ミキサーの開発に協力しTechnics初のHIPHOPDJミキサー『SH-1200』は、企画段階からから参加し、今も世界中のDJ達に師事されている。(SH-1200のSHはSharkから因んだもの。)数々のアーティスト(MONKY KEN, 元Mondo Grosso、現在瘋癲のメンバー B-BandJ, GM YOSHI,)などとの楽曲をリリース。DJ Suwa(Fu-ten),DJ Sanconと共にターンテーブルチームBeattricksを結成、クラブ中心に活動。1999年、初の自身のアルバム“InqbationをMirror Ball/RC Recordsよりリリース。そのアルバムはアフリカバンバーダの率いるZulu Nationのインターナショナル・ヒップホップ2000年の枠で2位に選ばれる。それからの彼はDJだけではなく、プロデュース業も幅広くこなし、ヒップホップのフィールドに収まらずレゲエやロックの方面でプロデュースやリミックス等を行う。ライブの方ではバンバーダやQ-bert,Z-trip,Five Deezなどのオープニングも務め、2002年にはテクニクスの30周年イベントに海外からのゲストと共にスペシャルゲストとしてプレイした。その後、彼はHIPHOPの聖地ニューヨークに渡りその活動拠点をインターナショナルなものにしていく。現地ではオールドスクールマンスリーパーティ『Back in da Days』をブルックリンで主催し、数々のHIPHOPレジェンド達との共演を果たす。(Grand Master Mell Mel (Grandmaster Flash and the Furious Five), Grand Wizard Theodore (スクラッチの生みの親), DJ Spinna, Large Professor (Mein Source),Rob Swift(X-ecutioners) DP-One, Jeru the Damaja etc…)。様々なクラブプレイを通し、確実に彼の存在をニューヨークに浸透させており、DJとしての存在を世界にアピールしつつある。また、プロデュース業も力を入れており、NYのアーティストとの競演、楽曲リリースもしており、日本でのDJ Sharkとはまた違う更に進化した彼のスタイルを築いてきている。
<http://www.myspace.com/djsancon>
<http://djsancon.buzzlog.jp/>
京都出身¨BEAT TRICKS¨のオリジナルメンバーとして活躍し、94年にはNEW MUSIC SEMINAR JAPANファイナリストとなる。レジデントをつとめるパーティー「ESSENTIAL」は2010年で15周年を迎え、毎回500人以上もの動員を記録。音楽関係者、メディアの間でも話題となったESSENTIAL全国公演は5000人以上も動員した他、海外公演(ハワイなど)も大成功をおさめる。レジデンツ以外のイベントでのPLAYには東京オーディオフェアなど数々のメインブースでのPLAY、地元京都市成人式式典でのゲストPLAY他東京、大阪など全国クラブで活躍中。年間全国で100本近いPLAYする西日本でも指折りのDJとして名を馳せている。参加ツアーでは2000年〜2003年に DJ MASTERKEY THE LIFE TOURのメンバーとして全国でPLAY、Rhymester「ウワサの真相」リリースTOURクラブサーキット全国10ヶ所以上参加、m-flo VERBAL率いるMIC BRADITZ全国TOURに全公演参加などがある。現在男性R&BコーラスグループF.O.H.ことFull Of HarmonyのライブDJとして参加中で、2007年にはKOHEI JAPANのライブDJとしても参加するなど幅広い活躍ぶりを見せている。また、音楽イベント・フェスティバルにも多数出演しており、代表的なものには 2000年に行われたHIP HOPとロックの融合イベント¨TERMINAL¨(BRAHMAN.BACK DROP BOMB, RHYMESTER, SHAKKAZONBIE)や東北最大フェスARABAKI ROCK FESTIN SENDAI BAY.九州のスカイジャンボリーなどがある。DJのPLAY以外にはトラック制作にも力を入れており数々のアーティストに楽曲を提供し、最近ではKOHEI JAPANのメジャーアルバム¨ファミリー¨に1曲提供している他、コロンビアレコードより東京渋谷ハーレム10周年記念アルバムにDJ SANCON FEAT VERBAL(m-flo)&Full Of Harmonyで参加などがある。メディアでの活躍としては地元京都、大阪でラジオ番組を10年近く勤め、2006年から FM京都α-Stationで¨THE BREAKS¨でメインDJとして活躍中。
<http://www.fu-ten.fm/>
瘋癲のサウンド面、そしてDJとしてライヴの要となり活動しているDJ SUWA。彼の音楽的な来歴は92年にDJシャーク、DJサンコンと共にDJチーム「Beat Tricks」を結成する事から始まる。京都メトロでのレギュラーイベントの開催や数々のDJバトルに出場し、京都/関西シーンでの存在感を高めていった。コンピレーション・アルバム「WIRED」に“A Night”を提供するなど、トラックメーカーとしての活動も顕著になっていく。また、レーベル「ALMAKKA」を立ち上げ、インスト音源を中心にアナログ盤をリリース。SUWA自身も音源制作をする日本とプレス工場のあるアメリカとを行き来しながら、Naked TracksやDJシャークの音源リリースなど積極的なレーベル運営行う。その活動はアンダーグラウンドではあったものの、DJ KRUSHのMIX CD『Code4109』にALMACCAとしてフィーチャーされるなど、徐々に実を結び始める。その一方、96年にはDMC DJコンテストのラップ部門に出場し全国優勝を果たすなど、DJとしても活動も並行して行っていたが、SUWAは、楽曲を発表する場として音源だけではなく独自イベント「瘋癲」「TICKET TO RIDE」を立ち上げ、数多くのジャンルからアーティストを招き、セッションを通して楽曲、そしてイベント自体を構築するというオーガニックなスタイルへと進化していく。