<http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/>
<http://d.hatena.ne.jp/otomojamjam/>
音楽家。1959年横浜生れ。十代を福島市で過ごす。常に同時進行かつインディペンデントに多種多様な作品をつくり続け、その活動範囲は世界中におよぶ。映画音楽家としても数多くの映像作品の音楽を手がけ、その数は60作品を超える。近年は「アンサンブルズ」の名のもと様々な人たちとのコラボレーションを軸に展示する音楽作品や特殊形態のコンサートを手がける。震災後は福島と東京を行き来しプロジェクトFUKUSHIMA ! を立ち上げ奔走中。著書に『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房)、『ENSEMBLES』(月曜社)『クロニクルFUKUSHIMA』(青土社)等がある。 KBS京都 <http://www.kbs-kyoto.co.jp/radio/jam/>ラジオにて「大友良英のJAMJAMラジオ 」のパーソナリティをつとめる。
<http://takaminet.com/>
1968年生まれ。美術作家個人作品としてビデオやパフォーマンス、インスタレーションなどの作品を、国内外の多くの美術館/アートフェスティバルで発表する傍ら、ダンス作品やオペラの舞台美術など、コラボレーションも数多く手掛ける。93年から97年までダムタイプのパフォーマーとして3作品に参加。近年は自身の演出する舞台作品も手がけ、美術との横断的な活動が注目を集めている。大友良英とは2008年、YCAMでの「オーケストラズ」にてコラボレーション。劇場をいっぱいに使った壮大なインスタレーションが話題をよんだ。
<http://www.realtokyo.co.jp/>
1955年東京生まれ。編集者・文筆家。和英バイリンガルのカルチャーウェブマガジン『REALTOKYO』(www.realtokyo.co.jp)及び『REALKYOTO』(www.realkyoto.jp)発行人兼編集長。89年、新潮社で文化情報誌『03 TOKYO Calling』の創刊に副編集長として携わり、同社退社後はCD-ROMブック『マルチメディア歌舞伎』、写真集『百年の愚行』などを企画編集。インターネットエキスポ日本テーマ館『Sensorium』、愛知万博テーマ普及誌『くくのち』、ウェブマガジン『先見日記』のエディトリアルディレクター、現代アート雑誌『ART iT』創刊編集長などを歴任した。京都造形芸術大学客員教授
Legendary opening scene of a play...
「NOEL & GALLAGHER のプロフィールをぼくが紹介する、というのもおかしな話だが、彼ら二人を引き合わせて互いに紹介したのは自分なので、すこし責任があるのかも知れない。
高松のDJ NOEL こと、辻一臣くんと知り合ったのはもう何年前のことになるのだろう。プレイは素晴らしいし、それ以上にオモシロイ人物で、初めて会ったときから強烈な 印象を持った。彼のDJセットの最中に教えてもらったブレイクビーツをちゃっかり自分のネタにしてしまったこともあった。
そんな彼が去年、満を持して発表した「BOUTIQUE」、というミックスCDを送ってくれて、 オレのことも忘れずにいてくれたんだなサンキュー、と気軽に聴いてみたら、これが素晴らしい作品で驚いた。驚いた矢先、久々に彼から連絡があって、高松の <VOYAGE>に一緒にプレイをしたのだが、これまた忘れられない夜となった。明け方近く、どちらが誘うでもなく、いわゆるバック・トゥ・ バック、つまり1曲交替のセットを二人で始めたら、これが止まらない。ウィンブルドンのテニスか、中国の卓球か、あるいは将棋の名人戦か、というような大 接戦で、延々と終わらないのだ。
翌日の昼食に入ったうどん屋でも、あんな面白かったB2Bは初めて、という話をしたら、彼も同様 だったようで、このままCDにしたい、と言う。たぶん辻くんのアタマの中で、何かに火がついてしまったのだろう。彼から熱心に誘われたのだが、ちょうど自 分は生まれて初めてのソロ・アルバムの制作の真っ最中、とてもそんな時間を作ることが出来ない。
そんなモヤモヤとした気持ちで東京に戻ったのだが、羽田空港に到着した途端に閃いたのだった。
ーーオレの替わりに、アイツを紹介しよう。
アイツ。その男は自分と同じく、本業は音楽制作だが、趣味でやっているというDJはもはや趣味の 範疇を越えている。ただお金になっていない、というだけだ。年齢も同じくらい。好きな音楽もプレイスタイルも何もかも、かなり似ている。似ているだけに、と きどき自分の知らない曲を掛けていると何だか許せない気持ちになる。ときどき都内のレコード屋で鉢合わせすると、お互いいい年なのでうわべは紳士的に振舞 うものの、心の中は敵愾心ギラギラ、言わばライヴァル的な存在なのだ。
ここまで書けば、自分の周囲の友人ならば、誰のことを言っているのか判るはずだが、あくまで本人は本職じゃないから、の一点張り、絶対に名前は書いてくれるな、という。
さっそく紹介すると、辻くんは興味を持ったらしく、すかさずレコードバッグを引っ提げて東京にやって来た。
「キミがDJ NOEL ってわけか。じゃあ、オレはDJ GALLAGHER だな」
その日から二人は意気投合して、まずは都内のDJ GALLAGHER の仕事場でCDの収録時間いっぱいに当たる75分を一本勝負として、計3回ものB2Bのセッションをしたらしい。
会ったその日から相性は良く、これで自分の仕事は終わった、と思ったのだが、上機嫌のDJ NOEL が、やっぱり人前でやりたい、お酒も入ったほうが調子が出るし、と言い出したので、慌てて池袋の知る人ぞ知るスナック「馬場」のマスター・馬場正道くんに連絡を取った。すると、翌日の土曜日は店を使っても構わない、という。
さて、土曜日。その日も午後からウォーミング・アップとばかり、DJ GALLAGHER の仕事場で何度かセッションし、いよいよ夜は池袋の「馬場」へ。
仕事があった自分は、夜の9時半頃に池袋に到着したのだが、もともとカウンターに8席のストゥールがあるだけの小さなスナックは、早くも噂を聞きつけてやってきた二人の友人たちで既に埋めつくされていた。
その晩ふたりは伝説を作った。ーーその店に居合わせた人は異口同音にそう話していたが、そのこと について、ここで自分は何も書かないことにする。その夜の「伝説」は、いわばオブザーバー的な立場にいた自分には、とても語ることなど出来ない。たとえ ば、やはりその晩、彼らふたりのDJセットを聴きに来ていた梶野彰一くんとか、自分よりもっと語り上手な人に話してもらうとよいだろう。
その晩はたった二回のB2Bが行われ、その二回目のB2Bが、このアルバム「PLAY LOUD」、の一枚としてそのまま収録されている。もかく、彼らのことはもう少し見守っていたいと思う。 オレに迷惑が掛からない限り、どうかたくさんの伝説を作ってください。」
DJとして全国各地のクラブや夏フェス等を飛び回りながら、リミキサー/プロデューサー/アレンジャーとしても幅広く活躍、映画音楽や企業CMなど多数手がける。05年1st『GREEN HOURS』、07年メジャーからの2nd 『SIDE FARMERS』、10年3rd『The Island of Curiosity』と計3枚のフル・アルバムをリリース。30箇所を廻る昨年の全国ツアーでは、初のバンドセットHALFBY AND HIS MYSTIC ARKESTRAのライブも敢行。デビュー10周年となる今年、通算4枚目となるフル・アルバム『Leaders Of The New School』を11月16日にリリースする。
2004年、デビュー12"シングル『SEASON OF YOUNG MOUSS E.P.』、2005年、ファースト・アルバム『ADELIE LAND』をリリース。国内は勿論、海外でもロングセラーを記録し、各国のメディアが絶賛。イギリスではBBCラジオがヘヴィ・プレイし、『NME』誌では特集チャートにもランクイン。スウェーデンでは国営放送が特番を組み、最先端ファッション&カルチャー誌『BON MAGAZINE』が大々的に特集を掲載する等、ヨーロッパを中心に一気に人気が加熱。また、アーティスト/クリエイター・サイドからの評価も高く、アルバム発売後はリミックス依頼が集中。PETER, BJORN & JOHN、PIZZICATO FIVE、DIANA ROSSから、その他、国内外のアーティストを多数手掛ける。DJとしては、京都、新宿、神戸のレギュラー・イベントを中心に全国各地のクラブでプレイ。『COUNTDOWN JAPAN』、『ROCK IN JAPANFESTIVAL』といった国内大型フェスにも出演し、2006年のスウェーデン・ツアー時には、本国最大の屋内フェス『UMEA OPEN』に出演。2008年、12"シングル『MAGNIFICENT MASS E.P.』をリリースし、イギリスの老舗レコード・ショップ『ROUGH TRADE』でも展開された。2009年に、セカンド・フル・アルバム『TERRESTRIAL TONE CLUSTER』と、自身の作品をまとめた『DISCOMMUNICATION BREAKDOWN』の2作品をリリースした。