http://hemmi.info/
1944年宮城県石巻市生まれ。早稲田大学文学部卒業。70年、共同通信社入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを経て、96年退社。この間、78年、中国報道で日本新聞協会賞、91年、小説『自動起床装置』で芥川賞、94年、『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞を受賞。他の著書に、『赤い橋の下のぬるい水』、『ゆで卵』、『眼の探索』、『夜と女と毛沢東』(吉本隆明との対談)、『反定義』(坂本龍一との対談)、『新・私たちはどのような時代に生きているのか』(高橋哲哉との対談)、『永遠の不服従のために』、『抵抗論』、『自分自身への審問』、『いまここに在ることの恥』、『記憶と沈黙――辺見庸コレクション1』など多数ある。
1999年3月二代目京山幸枝若に入門。
同年12月に難波の「ワッハ上方」にてデビュー披露公演を行う。
その翌年より、NHK・ABC・MBSJOCR等、TV・ラジオの各局にて浪曲公演・番組ゲスト等、多数出演。夏場には「浪曲河内音頭」で盆踊りの櫓にも多数出演。浪曲は勿論、河内音頭・歌謡曲と幅広く色々な分野にも挑戦。
所属事務所:京山芸能企画・(社)浪曲親友会
<http//www.geocities.jp/kikuti_madoka/>
平成8年 河内音頭を櫓に舞台にと歌い始める
平成13年 成世昌平師の甲会に入門、名取となる
富山テレビ「サンザワールド民謡大会」優勝
平成14年 「西近畿民謡連合大会」優勝・和歌山県知事賞 受賞
三経新聞社 総合優勝
平成15年 京山小圓嬢師に弟子入り
平成16年 「三経民謡大賞」優秀賞
平成17年 2月12日 浪曲師としてデビュー
平成18年
1月16日 「文化庁芸術祭新人賞」受賞
3月26日 文化庁芸術祭新人賞受賞祝賀会 太閤園にて
3月28日 「大阪舞台芸術新人賞」受賞
4月15日 小泉首相主宰「観桜会」に招待される
5月14日 菊池まどかデビュー披露記念公演 ワッハ上方にて
9月22日 NHKテレビ番組「ぐるっと関西おひるまえ」内で 「大型新人あらわる」とミニドキュメンタリー放映される
10月4日 NHKテレビ「上方演芸」演目 村松三太夫で放映
「JAL名人会」11月中 国内線 11月・12月 国際線で上演
平成19年 2月17日 大阪市「咲くやこの花賞」受賞
<http://blog.goo.ne.jp/keiko-haruno/>
大学卒業後、出版社勤務を経て、日本テレビのバラエティ番組『進ぬ!電波少年』でデビュー。その後フジテレビ「救急病棟24時」や「スタァの恋」といったドラマやTBS「リアルタイム」の司会などで女優・タレントとして幅広く活動。また受験指南や相撲についてなど幅広いテーマで新聞・雑誌での執筆活動も行う。1年ほど芸能活動を行うが、平成14年より落語や講談といった演芸にはまり、寄席やホールに通う日々を送り、演芸の世界への憧れを強めていく。
平成15年5月に浪曲師になることを決意。いったん芸能活動から引退、平成15年7月に関西浪曲界の大御所2代目春野百合子師匠に弟子入り。平成18年3月に初舞台、「出世太閤記~秋風矢矧の橋」を披露した。
< TV>『救命病棟24時』『スタアの恋』『リアルタイム』『進ぬ!電波少年』『暴れん坊将軍』等
<CM>ハウス「豆腐グラタン」,小学館家庭教師 『Dash』,FT資生堂 『薬用ホワイトアップ』 他
<著書>『受験坂本屁の河童』(日本テレビ出版),『ケイコ先生の合格のルール』(朝日出版社)
約20年前友人に誘われて、浪曲の寄席に通ったのがきっかけで浪曲のファンになりしだいに三味線の音色にひかれ弾いて見たいと思うようになり、師匠である藤信初子に頼み込み弟子入りする。1998年10月藤信初子に弟子入り翌年いってんさんの舞台でデビュー。2000年よりテレビ(おはよう浪曲)やラジオ(おはよう浪曲)、やインターネットラジオなどで活躍中
2000年3月に、曲師・沢村豊子に弟子入り。同年11月に初舞台。
その後曲師として東京で活躍するが、大阪に住まいを移し、
2006年12月の一心寺公演が大阪での初舞台となる。
http://www.cine.co.jp/chomsky9.11/>
マスメディアは、政府や大企業のプロパガンダに奉仕している。
「現代の民主主義国家におけるプロパガンダは、政府による検閲や悪意による報道の歪曲ではなく、マスメディアが持つシステムそのものによってごく自然に行われている」ーー。このノーム・チョムスキーの分析が、映画の主役である。報道の現場にいる人間さえもほとんど意識することのない構造的な問題を、チョムスキーは膨大な事例を用いて緻密に検証してみせるのだ。 映画の前半では、東ティモールとカンボジアで起きた集団虐殺についてニューヨーク・タイムズ紙がどのように報道したか比較するケーススタディに注目。新聞やテレビがいかにして社会の支配層のメッセージを一般民衆に浸透させていく役割を果たしているか、ユーモアと皮肉たっぷりにその仕組みを明らかにする。
後半では、チョムスキーに反論する人物が次々と登場。反主流派の意見が隅に追いやられていく実態を描きつつ、オルタナティブ・メディアの具体的な成功例を紹介する。
世界で喝采を浴びた傑作ドキュメンタリー映画、ついに待望の日本公開!
5年がかりで製作された、この長編ドキュメンタリーは、カナダでドキュメンタリー映画の興行収入第一位を記録し、世界530の都市で商業公開された。また、ベルリン国際映画祭ほか50以上の映画祭に正式出品され、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭グランプリを始め世界中で22の映画賞を受賞という快挙を成し遂げ、日本では待望の劇場公開となる。監督の一人、マーク・アクバーは、2005年に日本でも公開され話題を呼んだドキュメンタリー、『ザ・コーポレーション』の監督でもある。
大切なのは自分で考え、伝えること。ひとりひとりがメディアになれる
捏造されたメ世論モを疑い、他者との連帯を深める中で自分の価値観を身につけることによって、人々は知的に自衛できる、とチョムスキーは説く。彼の主張は、時代そして国境を越えて、現代の日本を生きる私たちが自分の生活の主導権を取り戻すための、強靭な手がかりを与えてくれるだろう。変化をもたらす力は私たち自身の手にある。この映画はそう教えてくれる。
筑波大学芸術専門学群構成専攻造形コース卒業。グラインダーマンリーダー。パフォーマンス出演にとどまらず、演出・構成から楽曲編集、デザインまでも起用にこなすプロデューサー気質。
<http://grinder-man.com/>
「己の身を削る」をコンセプトに活動するテクノパフォーマンスユニット。1997年身体に装着した鉄板をグラインダーで削るパフォーマンス「グラインダーマンのテーマ」を引っさげ「たけしの誰でもピカソ」アートバトルに出演。5週勝ち抜きの末、初代チャンピオンに輝き一躍お茶の間で有名に。日本のみならず世界各国で、シアターや美術館でのパフォーマンス公演から、クラブでのイベント出演、Tシャツデザイン、映像製作とボーダレスに展開。現在8月~9月の2ヶ月間にわたり、大阪北加賀屋にある名村造船所跡地にて滞在し、新作パフォーマンス『MUSTANG』を制作中。
<http://www2.odn.ne.jp/emura-kijyo/>
京都市立芸術大学美術学部デザイン科卒業。専門領域はグラフィック・ドローイング・アニメーション・映像などビジュアルコミュニケーション全般。映像+パフォーマンスユニット「キュピキュピ」メンバー(主にビジュアルデザインを担当)。映像コンテンツ「オー!マイキー」グラフィックデザイン担当。京都嵯峨芸術大学メディアデザイン学科准教授。
<http://kyupikyupi.com/>
1996年結成。石橋義正(ディレクション)、木村真束(立体造形)、分島麻実(歌手)と江村の4人により構成。映像とパフォーマンスを中心に活動するアーティストユニット。映像作品は世界中のさまざまな美術館で上映・展示され高い評価を得る。京都のカフェではじまったライブパフォーマンス「歌謡ショー」はパリ・ロンドンでの公演を経て、2003年京都・2004年東京の2度のロングラン公演「キャバロチカ」に発展し、多いに盛り上がる。現在、新たなパフォーマンスの展開を模索中。
<http://www.voicegallery.org/>
京都市立芸術大学美術学部卒業。1986年にヴォイスギャラリー開設(2005年ヴォイスギャラリーpfs/wと改称)。自身のギャラリーにおいて現代美術の紹介、ギャラリー外でも展覧会やさまざまなプロジェクトに関わり、パフォーマンスやクラブイベントなど舞台系の制作(+出演)も経験。名村造船所跡地におけるNAMURA ART MEETING'04-'34の実行委員。
<http://www.akiosuzuki.com/>
鈴木昭男は、サウンド・ア-トの先駆者的存在として知られるが、その活動・作品形態はおよそ一般的なサウンド・アートの範疇にとどまるものではない。「音と場の探求者」として多くの分野の芸術家達から注目されている。1963年、名古屋駅ホームの“階段にバケツ一杯のガラクタをぶちまける”というパフォ-マンスを発端として、自然に「なげかけ」、音を「たどる」自修イベントを始める。70年代には合わせ鏡の構造を持つ「ANALAPOS」というエコ-楽器を創作する。さらにこの楽器の延長線上となる「ひなたぼっこの空間(1988)」では、同じ構造の二面の巨大な壁を造築し、この空間で一日自然の音に耳を澄ますという試みを行なった。ここでまた新たな『聴き方』を発見することになる…観念的には空間に閉じ込められた音は、地球を一周することになるのだ…。
また70年代後半から80年代にかけてコンセプチャル・サウンドワ-クと称されるパフォ-マンスを展開。彼自身が取り決めた単純で厳格なル-ルに基づき、身近な素材を使って“知的な遊び”を繰り広げる。無意味な即興演奏に対する批判という側面を持ちつつも、常に『聴く』側にまわることを意識して、場との関わり方を模索していく。この頃より欧米へ頻繁に行き来するようになり、秋の芸術祭(パリ・1978)、ドクメンタ8(カッセル・1987)など主要な音楽際に招聘され、高く評価される。
90年代に入りサウンド・ア-ト界の隆盛に伴い、ベルリンを中心として数多くのインスタレ-ションを手掛ける。特筆すべきはベルリン/パリ/ストラスブ-ルでの街のエコ-ポイントを探る「点音[おとだて](1996)」、ザ-ルブッルッケンの市立ギャラリーで発表した「花(1997)」、人は音を発掘すると題された「pyramid(1999)」など、無音のサウンド・インスタレ-ションを発表したことだ。これら無音の作品群は、過去の認識論としての音楽を問うたものではなく、音楽の所在そのものにまで踏み込んだものである。作品との遭遇によって喚起された体験者自身の過去の経験や記憶が、新たな経験として再構築されることが、作品を『聴く』という根源的部分にまで到達しているのである。
また近年、ベルリンのdaad画廊で発表した「tubridge(1999-2000)」での体験は、彼のその後の作品に新たな展開を与えることになった。自らが音源を録音・作成し、独自に考案した出力装置を持つ電気音響を取り入れることにより、音を再構築し“場の因子”を『聴く』実験が実現した。ベルリンSFB放送局ホワイエでの音のドロ-イング「Mowe(2002)」、場の構築に対する一つの提言を含む「なげかけ&たどり(2002)」である。訪れた人は、降り積もる空間としての時間軸である作者設定の「場」を体験することになる。
これと平行して、2002年ロンドンのブルネイ・ギャラリ-・レクチャ-・シアタ-で始めたシリ-ズ「もがり」では、彼の家系に古代より伝えられる自然石そのままの“sa?tone-flute(磐笛)”の吹奏を主軸に、その時々の空間や場をとらえ、予測不能の圧倒的パフォ-マンスで、音楽を通じての自身の帰結を探っている。
<http://homepage.mac.com/innocentrecords/>
1959年生まれ。ギター、ダクソフォン奏者、作曲家。現在、東京、大阪、ウィーンをベースに活動。種々のエフェクツを駆使し、ソロやセッションでは多様でリリシズムに満ちた創意あふれる演奏を、独自のユニットではパワーと独創性に満ちたギタープレイを、楽器と即興の可能 性を無限大に拡げ続けるその活躍は必見に値する。最近は表現空間を重視したプロジェクト 「POOL」at 大阪BRIDGE-2004~2007年, 「PATH」at 山口情報芸術センター-2005年等)にも 意欲的に取り組む。あらゆるジャンルを往来し、音楽と共演可能な表現活動とは殆ど共演を経験。音楽監督として参加する「維新派」とは、20年近くに渡り活動をともにしている。ユニットとしては、今年で18年になる「アルタードステイツ」があるが、UAをはじめとした、個性的な歌手達とのコラボレーションが話題を呼んでいる。最近では細野晴臣のレコーディングにも参加。近年はハンスライヒェル氏の発明による新楽器ダクソフォンの日本唯一の演奏者としても活動が知られている。
1999年3月二代目京山幸枝若に入門。
同年12月に難波の「ワッハ上方」にてデビュー披露公演を行う。
その翌年より、NHK・ABC・MBSJOCR等、TV・ラジオの各局にて浪曲公演・番組ゲスト等、多数出演。夏場には「浪曲河内音頭」で盆踊りの櫓にも多数出演。浪曲は勿論、河内音頭・歌謡曲と幅広く色々な分野にも挑戦。
所属事務所:京山芸能企画・(社)浪曲親友会
<http//www.geocities.jp/kikuti_madoka/>
平成8年 河内音頭を櫓に舞台にと歌い始める
平成13年 成世昌平師の甲会に入門、名取となる
富山テレビ「サンザワールド民謡大会」優勝
平成14年 「西近畿民謡連合大会」優勝・和歌山県知事賞 受賞
三経新聞社 総合優勝
平成15年 京山小圓嬢師に弟子入り
平成16年 「三経民謡大賞」優秀賞
平成17年 2月12日 浪曲師としてデビュー
平成18年
1月16日 「文化庁芸術祭新人賞」受賞
3月26日 文化庁芸術祭新人賞受賞祝賀会 太閤園にて
3月28日 「大阪舞台芸術新人賞」受賞
4月15日 小泉首相主宰「観桜会」に招待される
5月14日 菊池まどかデビュー披露記念公演 ワッハ上方にて
9月22日 NHKテレビ番組「ぐるっと関西おひるまえ」内で 「大型新人あらわる」とミニドキュメンタリー放映される
10月4日 NHKテレビ「上方演芸」演目 村松三太夫で放映
「JAL名人会」11月中 国内線 11月・12月 国際線で上演
平成19年 2月17日 大阪市「咲くやこの花賞」受賞
<http://blog.goo.ne.jp/keiko-haruno/>
大学卒業後、出版社勤務を経て、日本テレビのバラエティ番組『進ぬ!電波少年』でデビュー。その後フジテレビ「救急病棟24時」や「スタァの恋」といったドラマやTBS「リアルタイム」の司会などで女優・タレントとして幅広く活動。また受験指南や相撲についてなど幅広いテーマで新聞・雑誌での執筆活動も行う。1年ほど芸能活動を行うが、平成14年より落語や講談といった演芸にはまり、寄席やホールに通う日々を送り、演芸の世界への憧れを強めていく。
平成15年5月に浪曲師になることを決意。いったん芸能活動から引退、平成15年7月に関西浪曲界の大御所2代目春野百合子師匠に弟子入り。平成18年3月に初舞台、「出世太閤記~秋風矢矧の橋」を披露した。
< TV>『救命病棟24時』『スタアの恋』『リアルタイム』『進ぬ!電波少年』『暴れん坊将軍』等
<CM>ハウス「豆腐グラタン」,小学館家庭教師 『Dash』,FT資生堂 『薬用ホワイトアップ』 他
<著書>『受験坂本屁の河童』(日本テレビ出版),『ケイコ先生の合格のルール』(朝日出版社)
約20年前友人に誘われて、浪曲の寄席に通ったのがきっかけで浪曲のファンになりしだいに三味線の音色にひかれ弾いて見たいと思うようになり、師匠である藤信初子に頼み込み弟子入りする。1998年10月藤信初子に弟子入り翌年いってんさんの舞台でデビュー。2000年よりテレビ(おはよう浪曲)やラジオ(おはよう浪曲)、やインターネットラジオなどで活躍中
2000年3月に、曲師・沢村豊子に弟子入り。同年11月に初舞台。
その後曲師として東京で活躍するが、大阪に住まいを移し、
2006年12月の一心寺公演が大阪での初舞台となる。
明治大学卒。商社勤務でヨーロッパ駐在。帰国後、音楽評論と並行してジプシー研究。ジプシーミュージックの研究家の第一人者として多くの評論、講演、著作を手掛ける。著書「ジプシー・ミュージックの真実」(青土社)「ブラスの快楽」(音楽之友社)など。早稲田大学非常勤講師。桜美林大学非常勤講師。
1960年京都市生まれ。大阪大学文学部、同大学院を経て、リスト音楽院(ハンガリー)などに留学。大阪教育大学助教授を経て、現在、大阪大学大学院文学研究科准教授。専門は、中東欧の音楽史、民俗音楽。著書に『バルトーク』(中公新書)、『ハイドンのエステルハージ・ソナタを読む』(春秋社)、編著に『ピアノはいつピアノになったか?』(大阪大学出版会)など。1990年代より、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアなどの村でロマに取材してきた。