満都に未開の地で妥協なき実践を先導する鬼人DJ。「The Second Sonic Destroyer」と評される唯一無二の苛烈な演奏にはルーツへの敬意と帰属性からの脱却、そして芸術的視座にもとずく現状への怒りと反逆精神が込められており、アンダーグラウンド・エレクトロニクス・ミュージックの軌跡を貶める予定調和な回答に唾を吐きながら、自身主催の【DIASPORA】を基盤に自立したマイノリティ達の連帯と、アンダーグラウンドの文化革新に向けたポジティブな闘争を続けている。
京都において硬派な姿勢を貫くDJチーム『ADVANCE』の御大。バンドマンとしてのキャリアから蓄積された『感動』と『好奇心』を表面化するMIXスタイルは、楽観的なまでのポジティビティに満ちており、生来の変態性分も併せて清濁すべてを飲み込む独自性に富んでいる。
過去10年間に渡ってDJとして活動。大阪を中心に、神戸、京都、名古屋と幅広く活動を展開する一方、エンジニアとしての活躍や、オリジナルトラックの制作などあらゆる角度からクラブミュージックを発信し続ける。過去に7年間レジデントを務めた「OSAKA-KISEKI-Most」をはじめ、自身のオーガナイズによる「POWER LOOP」,その他数々のレギュラーイベントに出演し多数の海外アーティストとの競演も果たす。ハウスミュージックを軸にファンク、ジャズ、テクノ~と縦横無尽に駆け巡る選曲と、エフェクティブで軽快なミックスワークは時空を超えた異空間を創りだします。
2001年から本格的にDJを開始。 関西を中心に数々のCLUBでプレイ。初期の頃はハードスタイル、シュランツなどかなりハードな選曲だったが現在はダッチトランス、プログレッシブハウスをメインにプレイ。長年のキャリアから生みだされる彼独自のグルーブ感で常にフロアをロックし続けている。思わず聞き入ってしまう彼のプレイはこれからも要注目である
今は亡き、DJ MEHDIに感銘を受けDJをスタート。
Electro Houseを中心にTech House/Techno/Disco/Rockなど、幅広く選曲。
弱冠19歳ながらそのポテンシャルに大きく注目が集まっている。
90年代初頭にテクノに衝撃を受け、トラック制作・ライヴ活動を精力的に行い高い評価を得るが「機材運びが大変」といった理由からDJを始める。自身のオーガナイズ、他パーティへの参加、国内外問わず多くの有名アーティストとの共演を経て現在は名古屋 Cafe dominaの『 28 』名古屋 Club magoの『 OTONOKO 』 にてDJプレイを展開している。
幼い頃から音楽好きの両親の影響でSOUL,POP MUSICに興味を持ち、高校入学後、ブルースバンドを結成し、ヴォーカルとフルートを担当。 ライブハウスに出現し数々の話題をさらった。ROCK,PUNK,SOUL,HIP-HOP,REGGAEと、あらゆる音楽を通過し吸収して繰り広げらるパフォーマンスに観客は度胆を抜かれ、その魅力に圧倒されていくことになる。1992年 アポロンレコードより「ニポニーズ ラガマフィン」収録の「ラガ ヤキニクロック」でCDデビュー。現在も尚、この名曲は語り継がれ、全国でブレイクし続けている。以降、数々のアーティストと共演!現在も活動は止まることなく、2003年、2004年滋賀で行われたビッグダンス「琵琶湖サンフェスタ」、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年の「ミッドナイトエキスプレス」でホストMCをつとめたのは記憶にあたらしい。2003年「カーティスフライ ハイ」、「ジャマイカの女」楽曲2曲を発表。2005年 KEIZO machineとジューシーによるブレイクビーツユニットHIFANA2nd ALBUM "CHANNEL H"収録曲「Mr.BEER」に参加。2006年 MONKEY KEN 1st ALBUM "MONKEY MAGIC 4"収録曲「スタイリースタイリー」に参加。2008年7月「ラガ焼肉ロック2K8」MISON-Bとデュエット曲「酒と泪と男と女」がYOSHIMOTO R and C CO.LTD関西レゲエ&ヒップホップ特集 まいどおおきに!~KANSAI FLAVOR~に収録。全国各地のサウンドのミックスCDアルバムに参加。